美味しくなあれ

ごちそうさまでした。

さよならであそぶ

SNSでしかつながってない人がSNSから消えたとき、それは私にとって死と認識する。

コミュニケーションが簡単にとれるからこそ、いなくなるときも簡単であっけなく、そして「私はあの人のその程度、あの人は私のその程度」という認識に辿り着く。さよならが簡単になった昨今、それはたまに無性に寂しくて、「さよなら」がフランクになったことにいつまでも慣れないよ。

 

そういう気持ちになるのは、私がなによりもSNSでのコミュニケーションにウェイトを置きすぎているからなんだよね。私だってあなたたちみたいにSNSから消えたいよ。でも遊ぶにはSNSにいたほうが便利だし、あなたたちは外に出て遊んでくれないし、じゃあ私もあなたたちを切り捨てるよ。さよなら。

無関係であそぶ

誰かと繋がりをもつと、その誰かに期待してしまうのが本当に嫌で、距離を置いてみるけどやっぱり寂しくて近付いてしまう。情けないし勇気がない話。

 

誰かを切り捨てたらその周りにいる誰かとも繋がりが切れてしまうし、新しい場所を探すしかもうなくなっちゃうんだよね。でもこの年になってまで新しいコミュニティを築くのもまたかなりの労力で……。

とはいえ、今やらなければもっと今更になってしまうから、どこかで諦めるしかないのだろうなと思う秋の日々だ。なんだか毎日寒いし、寂しいね。

関係を切りたい人は1人だけなのに、その周りの人は大切にしたくて……その人たちとは離れたくないな。でもな……。縁切り神社でも行ったらいいのかな。

自分であそぶ

自分のために生きなければという気持ちがあるのに、どうしていつも遊びに出かけてしまうのか……。

カレンダー通りのお休みなのだけど、連休を見つけるとすぐ友達を呼んだりお泊まりをしてしまう。自分の趣味に没頭するために図書館にいったり、寝たり、ゲームしたりする。この世は娯楽がありすぎて、人生のためになるもの(たとえば個人積立や、転職のためのスキルアップとかね)は苦痛すぎる。娯楽の対局にあり、人間はおおよそ怠惰だ。私はストイックになれそうにない。痛みにも弱いし、ただただ現代人だった。

自分のためになることをするのがどれだけ大変か……。

自分のために苦痛を乗り越えられるひとは、こないだの三連休で衣替えを済ませ、掃除をし、国の手紙とかの封を開けていたと思う。

 

それのどれだけハードルの高いこと……!

秋であそぶ

今日からいきなり東京は秋。

さむいよー!? どうしてー!? そんな日に限って薄手のカーディガンはすぐ出てこないし、だから半袖を着てきてしまいました。寒い! しかもこの半袖は最近流行っていたあみあみのやつなので本当に寒い。

私がいつもきちんと衣替えをする人間であれば……。暮らしてきた実家では衣替えの概念がなかったので行事として定着もせず、なんだかんだ衣替えって漫画でしか見たことがないもののままここまで来た。

 

でも習慣づけておけばよかったなあ。こんなにも昨日今日で秋が来るなんて。なにかが起こるのはいつも突然だって分かってるつもりでしかなかった。

シルクであそぶ

Amazonプライムデーのセールだったかで、シルクの枕カバーを買った。

枕カバーって買おうと思うとなかなか高いな……袋にチャックがついてるだけなのに……と思いつつも、実際自分が作ろうとすると手間だし、面倒だし、疲れる。なので大人しく買おうと思い、ではシルクはどうだろうかと考えた。

 

シルクの枕カバー。摩擦が抑えられて髪にいいらしい。ついでなので両親にも2枚買い、1枚が自宅に届いた。

なんか……箱に入ってる……。

リッチ感は出ている。金の箔押しにしっかりしたへらべったい箱。開けると薄い紙に包まれたシルクの枕カバーが現れた。まるで大事に育てられた森のお嬢さん。手触りも良く色も上品で、髪にいいかは分からないが、なんとなく自分に良いことをした気分にはなれたと思う。

 

問題は起きるときで、シルクはしっかり肌に馴染んでくれるので、朝なかなか起きれない。シルクに肌がくっついてるみたい!!

平日の朝には困るかも。でもほっぺをくっつけると、ひんやりして、本当に気持ちがいいのだ。

秋であそぶ

いきなり秋になったので嬉しい。

風邪になったりすると思い出すけど人間は熱に弱くて、少し寒い方が頑張れる気がする。満腹より少しお腹が空いてた方が頑張る気がする。トイレ我慢してるときのほうが頑張る気がする。

 

季節はどんなときも好きだけど、秋は過ごしやすいし服も可愛いし、そんなところが好ましい。夏の最後にギリギリ買って結局、おでかけの予定までに届いてくれなかったイエローのワンピースも、秋はまだ許容してくれる気がする。秋は懐が深い。黄色を着ることを許してくれる。インナーに黒とか茶とか合わせたらもっと許してくれるよね。

最近は仕事と趣味で気持ちが忙しすぎて、新しく買ったバングルもつけておでかけできた試しがない。せっかくの行楽日和なんだし、ふらっとひとりでどこかに行きたいね。

筋トレであそぶ

整骨院に行っています。両腕の倦怠感や痛みと、首のうしろに手をやる癖が抜けないので、抜本的な治療が必要だと思ったため。

整骨院では「ハイボルテージ」という治療を行っており、体に電気を通すらしい。受付の横には「筋肉は電気でつけられる!」と書いた手作りポスターが貼ってあって、それがかなり好きになったので継続的に行くことを決めたよ。

 

ところで通院も五回目くらいになった頃、一日のわずかな時間で筋トレをしているという話をした。本当にわずか。一日十五分とかそこら。体をもっと動かしたい! と思ったときは三十分くらい。ずぼらなので時間の計測等はしない。そうしたら整骨院の先生は「少しでもやることがいい」と肯定してくれたので嬉しかった。

「一日十五分でも、一年後、十年後を見ていけば、今やってない人とはすごい差ができるからね」

つまりはそういうことなので、確かにと未来を考えることにした。十年後、二十年後に生きているかわからないけど、なんだかんだ生きてはいそうだと思う。そのとき、ほかの友人たちと比べると「一日十五分の運動を続けなかった人」と「続けなかった人」の体の違いが出るんだと。じゃあやった方がいいなと考えて、今日もわずかに筋トレをすることにした。